■楽天日記から始まる恋「書き込み、いつも見てるよ」楽天日記でカリスマと呼ばれる彼からの 突然のジカメに あたしはかなり舞い上がった。 彼の日記は一日のアクセスが2000。 「一人一人に返事は書けないけど、ゲストで来てくれる君の書き込み 実は、いつも楽しみにしてるんだ。君なら絶対人気者になれるはず。 簡単に設定できるから君も楽天日記ひらかないかい? そうだ、僕のサイトのゲストライターになってみない?」 「えっ?あたしが…」 あたしは、メーラーに向かって思わず呟いた。 そう、彼の日記は少し変わっていた。 色んな女性がゲストライターとして出入りする。 そして、最後に彼のコメントがつくという感じで 女性が集まるクラブのような作りになっていた。 色んな女性の私生活を覗き見られるような作りのサイト。 あたしにはサイトなんて作れないけど かなり手が込んでることは、シロウト目にも判る。 実は…あたしもゲストライターに密かに憧れていた。 書くことは前から嫌いじゃない。 事実、彼の日記の掲示板では ゲストながらちょっと知られる存在になっていた。 だけど、日記をみんなに見せるなんて… あたしが、ゲストライターになりたがってること 彼にはばれていたのかな… * * * 自分の文章を誉められた嬉しさと、とまどい。 ありのままの気持ち… メッセージを送る、をクリックした。 10分もしないうちにレスが帰ってきた。 「大丈夫。じゃ、明日からね。とりあえず、書いてみて俺にメールくれるかな。 そうだ、あの話なんかどう?学生時代にやってたお水のバイトの話…」 驚いた! あの話って… もう3ヶ月ほど前に、掲示板に書き込んだ話だった… 見てたんだ… 戸惑いながらも、彼の強引さに乗せられたあたしは 翌日からゲストライターとして参加することになった。 掲示板に書くときは、あんなにただただ楽しんで書けたのに 2000人がみると思うとあたしは舞い上がり 何度も何度も書き直した。 そして… 誰より、2000分の1のたったひとり 彼が見ると思うと舞い上がって… だけど… 昔から開き直ると強いんだ。 10回書き直して、こう思ったの。 「なんて書いたって、みんなは始めてみるんだからいいよね」 それに 「ここをこうしたら…」 なんて、彼からチェキされるかもしれないことも 心のどこかで楽しみにしている自分もいて。 えい!ままよ! 覚悟を決めて送信ボタンを押した。 * * * 「とってもいいじゃん!アユ!!」 今度は30分後だった。 そして、あたし… 呼び捨てされてる!!! そればかりか、彼のメールにはこんなことが書いてあったの。 「俺がチェックする必要殆どないみたいだね。 今夜は、アユの初デビューだから、あえてそのままアップしようか。 今すぐアップするよ、ちょっと待っててよ!」 それから… あたしはドキドキしながら、何度か彼のページを開いては 更新ボタンを何度も押してしまった。 足跡が、ゲストだらけになったかもしれない… 20分後だった。 「掲示板で人気のアユが、カウンターの中から語りかけます。 みなさん!まだ夜は長いです。 今宵、アユのデビューを一緒に祝ってやってください! マスターより」 あたしのつたない原稿も彼の言葉を添えると それなりに見えるから不思議。 ううん…とっても輝いて見えた。 たかがお遊びの日記なのに… あたしは、泣きそうになったんだ… 「デビューおめでとう!アユ!!」 あたしのこと、見てたかのように 足跡を見つけた彼から速攻メールが届いた。 恥かしいけど…モニターの文字がかすんで見えた 泣いちゃったよ。嬉しくて… そして… それから、毎晩彼からメールが届くようになった。 こんな言葉から始まるメール… 「今アップしたよ!アユ」 * * * いつしか、あたしは彼からのメールを 心待ちにするようになっていたんだ。 もちろん、楽天日記を開けば、いつ更新したかなんてすぐに判る。 だけど、毎晩あたしは待っていた。 彼が、メールで知らせてくれるのを… 毎晩0:00に点滅するメール着信ランプ。 そして彼は、あたしに どう書けばアクセスが増えるかアドバイスしてくれる。 ゲストライターは何人かいて、朝更新する人、昼の人など決まっていた。 OLのあたしは必然的に、夜更新する人になった。 「すごいよ、アユ!!!」 実は、うすうす感じてたんだけど うぬぼれかも…と思ったことが現実になったんだ。 そう… あたしの日記が、ゲストライターの中で一番 アクセスを集めるようになったんだ。 面白くなり始めていた。 何を書けばお客さんが喜んでくれるのか。 そして…あたしまでもがカリスマと呼ばれ始めていた。 人の心を掴むのって、楽しい! そして… たったひとりが、誉めてくれる言葉が欲しくて… そんなある日のことだった。 「君だけに教えたいことがあるんだ。ここに電話くれるかな…」 * * * 090で始まる11桁の数字。 彼の携帯番号だった。 ネットの恋愛には、正直いい思い出がない。 楽天を見始めたのも、出会い系に食傷気味になってたから… だけど…正直心のどこかで思ってた。 彼とは、いつか話をする日が来そうだと。 「待ってるよ。 今すぐ話したい。 マスターこと、和也より」 マスターのプライベートを知る人は誰もいない。 彼はカリスマで、知ろうとする女もいなかった。 今、この時間、あたしだけが知っている。 11桁の、彼へ繋がる番号。 指が震えた。 「待ってたよ!」 ワンコールだった。 「始めまして…」 声がかすれてしまう。 「やっと、アユと話せた、嬉しいな…」 一瞬、ここで「あたしも…」と言ったらどうなるのだろうと思った。 どうリアクションを取ったらいいの? ドギマギするあたし。 「日記のログインアドレスとパスワード、アユに教えたいと思って」 えっ?! 緊張が一気に吹き飛んだ瞬間だった。 * * * 「これからは、アユが自分でログインページに入って日記を アップして欲しい。これまで、誰にも教えたことなかったんだ。 教えたい、って思える人に初めて逢えた。だから… メールでも伝えられるけど、直接伝えたかったんだ」 毎夜のメールが電話に変わった。 あたしが日記をアップすると 30分後には彼の言葉が書き加えられ携帯が鳴る。 ふたりでページを作ってる喜び… どんなに会社が退屈でも、やなことがあっても 夜の時間を思えば頑張れた。 そして…いつしか ふたりで5000アクセス集めるサイトを作ろうかと夢を語り始めていた だけど… 和也のサイトは女が集まるコミュニティー あたしは、朝や昼更新する仲間やそのファンの人たちに よく思われてないことをうすうす感じ始めていた。 ログインアドレスとパスワードを知ってる女はあたしだけ いい気になってなかったかといえば、嘘になる。 そして… ある日あたしがアップした日記にこんなレスがついたんだ。 「マスターとデキテルからっていい気になるんじゃないよ!」 * * * ログアウトで書かれたその一行。 でも、書き込みの主はゲストライターの中の誰かに違いなかった。 和也は見てるだろうか。 携帯を手にとる… 「こちらはNTTドコモです。おかけになった電話は 電波の届かない所にあるか、電源が入っていません…」 ついさっき、和也から「俺のレスも入れたよ!みてみて!」 って、上機嫌な電話を貰ったばかりだったんだ。 そういえば、あたしから電話したのは初めてのとき以来だ。 ほんの数時間後なのに切られてる電源。 押し寄せる不安。 あたしは、和也のこと、何にも知らないんだ… いい気になってた。 和也の見えない時間に嫉妬したことなんて一度もなかった。 だって、いっしょにサイトを作ってる気分になっていたから… そうなんだ。 あたしは、和也の私生活を何も知らない。 日記を何かにつなげたいと思ってるのは伝わってくるけど 本職は何をしてる人なのか 結婚はしてるのか 彼女は… もしも、日記を更新した後、彼女に逢いにいってたら… だからと言って、あたしに何が言えるのだろう。 掲示板のレスは見る間に増えていった。 「どうせ、マスターがナンパした女でしょ、この人」 「ログアウトで、そういうこと書くの卑怯じゃない?」 「アユちゃんのお話、アタシは好きだけどな。 別に出来てたって変わんない。このサイトのファンだから」 「出来てるかは判んないけど、確かに鼻につくよね」 助けて! 和也、何処にいるの? 居たたまれなくて、楽天を閉じようとしたとき携帯がなった。 * * * 「和也だけど…電話くれた?」 「掲示板…見てないの?!」 「あっ、ごめん、俺バイトだったから…。ちょっと待ってね PC立ち上げるから…。あ、こっちから電話するよ」 コールバックまでのほんの数分が、永く永く感じられた。 「大丈夫だよ、アユ。しょうもない書き込みは削除して 俺からレスいれといたから。 アクセス解析はいってるから、ゲストで来ても誰か判るんだ。 アユが来てくれてるのもね…」 いつもなら、嬉しい言葉だろう。 だけど… とっさに口走った。 「あたし…もう楽天日記に参加しません」 「なんで…?」 「なんで、って…このままじゃあなたにも迷惑かかっちゃう…」 「俺?俺なら平気。だって俺が…アユを選んだんだから」 えっ?なんて言ったの? 「俺が、アユを守るから。 そしていつか、ふたりのサイトを作ろうな」 近くにいたら抱きついていたかもしれない。 抱きしめて欲しかった。 抱きしめられて、泣きたかった。 声を聞くまで、本当に本当に不安だったんだ。 そして、その言葉は和也から発せられた。 「アユのこと…好きなんだ」 涙が出そうだった。 だけど…だけど… 和也は…… あたしがどんな女なのか知らないんだ。 出会い系ではいいことがなかったあたし。 それでも、今一瞬はこの言葉に酔いたいと思った。 「あたしも…」 * * * 一夜開けると、彼の日記は何事もなく流れていた あたしはもう、誰の誹謗中傷も怖れなくなったんだ。 だって、あたしは 彼女達の言うとおり、マスターと出来てる女なのだから。 …デキてる? 心の何処かに引っかかる何かを残しながら お互い盛上げるだけ盛り上がっていった。 「逢うなり抱きしめそうだ」 「こっちから抱きついちゃうかも」 朝はおはよう携帯メール 昼はちょっと長めのメールを打った そして夜は… 普通の恋愛で言えばデートって感じかな 「アユ、なにしてる?」 声を聞いただけで身体の芯がピクンとする バカみたい、逢ってもいないのに それでも、浮き足立つ想いは押さえられなかった。 そんなある日。 「来週、アユの住む街に行くよ」 息が止まるかと思った。 * * * 「あっ…」 その夜、日記を開くと背景が… 神戸の夜景だった。 「一足先に、アユのところに飛んでみたよ」 彼と逢って、あたしは涙腺が弱くなった。 彼は、チャットのようにケイタイメールを送ってきたんだ。 今日は、アユへのプレゼントを買ったんだ。 明日はスーツをクリーニングに出さなくちゃ。 後は、逢うことを残すだけだった。 ううん、逢わなければ全ては始まらない。 だけど、気づかない振りをしていた。 「和也…」 「ん?」 「あたしのこと…期待しすぎないでね」 「期待も何も、アユはアユじゃん。 俺が決めた女なんだからそれでいいんだよ」 「判った…ごめん。自信を持つね」 そんな会話を幾度繰り返しただろう。 その度、和也に抱きしめてもらうような… 出かける前の日。 和也から、花が届いた。 赤いチューリップの花束。 「本当は手渡したかったけど…」 あたしは、出かける前の日 日記の巻末にこう書いた。 周りの景色が変わって見えた。 彼がどんな人なのか、あたしには何も判らない。 信じよう。 あなたを。好きになった自分自身を… 掲示板は騒然とした。 だけど、あたしはもう平気だった。 なによりも、自分のとまどいに決別したかった。 一瞬思った。 彼に逢った後、あたしはここで書きつづけてるだろうか。 それとも… 「最高の告白だったよ!アユ」 信じよう。 ひとはひとでしか動かない。 あたしが、惚れたひとなのだから。 そして… ついにその日は来た。 * * * 「逢ったらすぐに手を繋いじゃうぞ」 「いや、手じゃすまないかもなぁ」 「覚悟しとけよ!」 ここへ来る道々も、彼からメールがはいりまくってたんだ。 ほんの数時間前のことだった。 「じゃ、今から地下鉄乗るから」 そこでメールは途絶えた。 そして今… ふたりは向かい合ってる。 「アユ…さんです…か?」 毎晩聞く声だった。 メールのとおりなら、ふたりは公衆の面前で 逢いたかったよ!なんて駆け寄って 場合によってはキスしたりするはずだった。 数時間前の盛り上がりを遠い日の花火のように想い出す。 逢った瞬間 彼が視線を落としたのをあたしは見逃せなかった。 アユさんなどと、さんつけで呼ばれたのは初めてだった。 どんなに心を通わせたつもりでも 声を聞いただけで身体の芯を震わせても 好きの言葉を何度繰り返しても 逢わなきゃ判らないことがある… どこかで 気になりながら見ない振りをしてきた違和感。 出会い系の男に逢った時の居心地悪さを想い出す。 「アユ、手を繋ごう」 やっと、救われた気がした。 * * * それは毎晩想いをはせてたとおりの温かさだった だけど… ふたりとも、自分たちの決めてた夢の時間に身をおいて ぎこちなさを払拭しようとしていた。 積み上げてきた時間があるから… だけど… 隣にいるのに… 息苦しいよ、遠いよ…和也。 (あなたは…どう思ってるの?) でも、聞いたからってどうなるというのだろう。 今お互いから伝わる全てがふたりの現実だ。 「あ…ここって」 神戸の北野坂の入り口にあるペンションのようなちいさなホテル。 あたしが一度行きたいと言ってた場所。 和也はくすっと微笑って、その門をくぐった。 「覚えててくれたの?」 「もちろんさ」 「嬉しい…ありがとう…」 ふたりっきりになったなら… この空気も変わるかもしれないと思った。 メールだったらマシンガントークな男が 逢えば凄いシャイマンだった!なんて珍しいことじゃないじゃない。 ふたりっきりになったなら… そして、彼の腕に抱かれたなら… * * * 「アユ…」 アンティークなつくりになってるエレベーター。 扉が閉まると、和也はあたしの肩をぐっと抱き寄せた。 そうだよ! あたしの思い過ごしだよね… これが、リアルな和也の愛情表現なんだ! 出会い系の男と和也じゃ積み上げてきた時間が違う。 あたしたちは、未来日記を書いていただけなんだ。 ふたりで毎夜書きつづけた未来日記に現実がついていかないだけ。 そして…追いつかなきゃとハァハァしてる。 そう、今逢ったばかりの彼にこうやって肩を抱かれてること自体 異常なことかもしれなかった。 だけど、今のあたしにはそれくらいのことが必要だった。 和也とちゃんと繋がれてる、って実感。 シティーホテルらしい甲高い到着音がしてエレベーターが止まった。 足音を吸い取るようなペルシャ絨毯の廊下を あたし達は寄り添って歩いてゆく。 それはまさに、ふたりのバージンロード。 「本当の恋は、今からなんだ」 あたしは、そう言い聞かせた。 * * * ガチャ! ドアが閉まり、あたしは後ろから抱きすくめられた。 「やっとふたりきりになれたね、アユ」 男の匂いがした。 身体の芯が緊張する。 毎晩、ケイタイが鳴るだけで押し寄せるアノ感覚。 今初めて、和也に逢えて、和也に触れた…そんな気がした。 「よかった…」 「ん?」 「和也に…逢えて」 本当は、もっと違うことを考えたけどとっさにそう言った。 「初めて、名前呼んでくれたね」 気づいていなかった。 心の中では、沢山話し掛けていたから。 そして、名前を呼べるほど近く感じられなかったから。 そう言えば、和也は逢ってから何度も「アユ」って呼んでくれてる。 信じよう… 出会い系であったふたりが 逢うなり寝てしまうわけはここにあるのかもしれない。 積み上げてきた時間と、初対面のギャップ。 高まりすぎた期待に追いつけないジレンマ。 埋めるには…ひとつになるしかなくて。 出会いに意味がなかったとは思いたくないから… 「男は、寝るためなら優しくするものだよ」 口の悪い友達の言葉をふと思い出した。 でも…信じよう あたしも、抱かれたくてここに来たんだ。 そしていまも、身体が渇望してる。 他でもない、この男をね。 「あっ…」 首筋に温かい感触が走る。 「こっち向いて」 長い長いキスだった。 正面から抱きしめられた。 あたしも思いっきり抱きしめ返す。 和也の体温を、初めて全身で感じた。 「ずっと、こうしたかったんだ…」 身体の芯が痙攣する。 信じるとか、信じないって何? 今は、彼にあたしの全てを預けよう。 * * * 彼の指が、すっとそこへ伸びてきた。 内腿に手を滑らせた彼が、ふっと笑みを浮かべる。 「アユは、こうされたかった?」 いじわるな和也… 唇を合わせた瞬間。 そこに手を触れられた瞬間。 男と相性がいいかどうかはすぐわかる。 自分でも、怖いくらい濡れてる。 緊張の後、受け容れられることがこんなに快感だなんて あたしは、これまで知らなかった。 (それも、企み?) ううん、いまは考えるのはよそう。 この人はやっぱりあたしの愛する人だ。 愛されたいと思った人だ。 「あっ…」 和也はゆっくりと、あたしに身体を預けてきた。 あたたかい重み。 ようやくひとつになれたんだ。 * * * 聞き覚えのあるメロディーに、あたしは飛び起きた。 和也のケイタイだった。 カノンのメロディーはお揃いの着信音。 「逢った時どっちの電話かわかんなくなっちゃうね」 なんて話してたんだ。 ふと気がつくと、あたりは薄暗くなっていた。 そのままふたりとも眠ったらしい。 2時間くらいたったかな。 「電話、かかってるよ」 「あ…」 和也は、電話をとると、ブチッと切った。 「大丈夫?」 「うん、急がないから」 そういい終わるが早いか、また電話がかかってきた。 「うるさいな~!」 * * * 「判った。じゃ、それは俺にメールしてくれたらいいから。 明日帰るまで、見れないけどね。 えっ?書いてたでしょ、今日はいないって」 あたしには直感でわかった。 クラブ和也のライターのひとりだ。 やっぱり、ケイタイくらいは教えてるんだね。 「だからダメだって、今日は!」 心が波立った。 * * * 「ごめんな…」 そう言って、和也はあたしの肩を抱くと また眠りについた。 あたしの前に、立ち上げられたパソコンがある。 ふたりで築いてきた、コミュニティーの喧騒。 楽天日記、そのほかジャンル、毎日4000近いアクセスのある 「クラブ和也」の画面。 全ては憧れから始まった。 となりには、和也がいる。 すだれた前髪が、目にかかってる。 そして今、あたしは それを、遠い日の花火のように見つめていた。 逢ったら、ふたりで画面を弄って リニューアルさせようか、ってはなしてたんだ。 ログイン画面を見ると 主はいなくても今日のアクセスが1800になっていた。 と、そのとき… 私書箱に届いたメッセージがあたしを釘付けにしてしまったんだ。 これまでは、メッセージが来ていても ここはあくまでも、和也の日記だからそれを開くことはしなかった。 でも… メッセージの書き出しはこうだった。 「アユさんと逢ってるんでしょ…」 * * * 次の瞬間、あたしは「最新私書箱」をクリックしてたんだ。 「アユさんと逢ってるんでしょ? メール送ったから。 華子」 ライターの中に、華子って女はいなかった。 だけど… あたしは、ベッドを振り返った。 目にかかった前髪を、振り払おうともせず和也は寝ている。 「メール送ったから」 心が、ざわざわしてる。 携帯を見たくなる女の心境とはこんな感じだろうか。 あたしはそういう女を軽蔑してきたんだ。 自分を幸せにする情報がそこにある訳もないのに。 エッチの余韻も冷めて、やはり押し寄せてくる不安。 その答えを、あたしは確実に受け取るのかもしれない。 だけど… ここで、メーラーを見ないでいられる女なんているだろうか。 それが、確実に自分を不幸にするものであっても。 不幸に? まだ、そんなことわかんないのにね。 でも… 見なかったからって和也の顔、笑って見れる? この、波立つ心を押さえられる? 帰って同じ気持ちで、日記を書ける? そして、これからのふたりは…? 悪魔が囁いた。 * * * ワンクリックで立ち上がる和也のアウトルック。 新着メッセージ57件。 たちまち受信トレイは下まで太字で埋まっていった。 「華子…華子…」 他人のメールを見る罪悪感と 見つけたくない気持ちのせいだろうか スクロールしてもしても、その名前は見つからない。 いや、見つかってるのかもしれないけど あたしの目が、文字をシャットアウトしてるのかもしれない。 集中できないのだ。 (…やっぱりこのまま閉じようか?) (…閉じたからってスッキリする?) と、そのとき そのメールは「開いて」と主張するかのように あたしの目に飛び込んできたんだ。 「件名:悲しいよ」 指先が震えた。 だけど、次の瞬間クリックしていた。 * * * アユさんと逢ってるんでしょ。 判ってたよ。 だけど、いつもの気まぐれだと思ってた。 またこんなこと続けるの。 それとも本気? 察しろって? でもね、あなたの口から言われたかったよ。 東京で待ってる。 華子」 「いつもの気まぐれ?」 「それとも本気?」 (もしかして、最初からあたしって…) 和也に対して、愛されてる確固たる自信なんて 逢ってから、正直言ってもてていなかった。 だけど、どこかで根拠なく信じてたんだ。 ついさっきまで、夫の携帯チェキをする本妻の心境だった。 その立場が、音を立てて崩れてゆく気がした。 (浮気相手なのは、あたしの方…?) 女のあたしには、判る。 この書き方は、本妻モードだ。 短い、たったこれだけのメールが あたしの知らないふたりの歴史を まざまざと、浮き上がらせてるようにさえ見えた。 「またこんなこと続けるの」 あるストーリーが浮かんでいた。 和也には華子という長い付き合いの彼女がいる。 だけど、ネットであった女たちに手当たり次第に手をつけ そのたび、華子は溜息をつくのだ。 だけど、決してふたりは離れることはなく… 妄想はとめどなく広がってゆく。 そして、それを打ち消せる確固たるものが、どこにあろうか。 それを、裏付けるものならいくつでも見つかるのに… そう言えば、あたしと和也が出来てる疑惑が持ち上がったとき やけに冷ややかで卑屈な書き込みをしていた女たちがいた。 あの頃は幸せすぎて、嫉妬ややっかみ以外のトーンを あたしは、そこから感じることはなかったのだ。 もしかして「クラブ和也」の女って… みんな…?! あたしは、ギョッとしてメーラーの署名を見返した。 * * * あっ! 一瞬、心が暖まった。 それは「アユ」と名づけられたフォルダだった。 だけど、一瞬だった。 miyu 静香だよ♪ 山岡 ルミ ai_takahasi saori kinoshita ★☆かおり☆★ ・ ・ ・ ・ ・ どう見ても、女の名前としか思えないような署名が並んでいる。 そのひとつひとつを、開けてみる勇気は既に失っていた。 「アユ」フォルダが一瞬もたらしてくれた、愛されてる感も 押し寄せる不安を消しとってはくれない。 (まだ、ほんとのことなんか判らないじゃない) そう、それが全て、和也の女とは限らない。 だけど、見てしまったものは戻らない。 ほら、こんなことってない? 衣替えで出した服が、虫に食われて穴空きになってたの。 「あ~あ」と思ってよく見ると、一箇所じゃなくて アッチもこっちも破れてて… 服が着られなくなることにがっかりしちゃう以上に 無数の虫が、服を食いちぎってる映像がありありと浮かんで ぞっと寒気が押し寄せるの。 華子がどんな女かなんて、何処かに行ってた。 そんなこと、もうどうだっていい。 華子はたまたま見つけた虫食いのひとつで そこから大群になって押し寄せてくる無数の虫に、あたしは怯えている。 フォルダがあるのは「アユ」だけ。 だけど、それが何だというのだろうか。 そんなところで、愛情を確認する恋愛なんてしたくない。 あたしは、ただ普通に恋をしたかった。 ネットの恋で、いい想いをしたことはない。 だけど、今度と言う今度は…女と言うフィルターじゃなく 「アユ」を見てくれる人と、知り合ったはずだった。 「アユ」だから惚れたと言ってくれる人と、知り合えたはずだった。 (まだ、ほんとのことなんか判らないじゃない) そう、それが全て、和也の女とは限らない。 だけど、見てしまったものは戻らない。 (ネトナンなんて、もうこりごり…) * * * と、そのとき… 背後で和也が、動く気配がした。 ビクン!として、あたしは強制終了ボタンを押した。 振り返れずに、背中を向けたまま話し掛ける。 「お…起きた?」 声が震えてしまう。 返事がないのでそろそろ…と振り返ると 和也は、ボーっとこっちを見てた。 (いつからそうしていたの…?) (もしかしたら…少し前から?) まだ、マウスを握ってた手が震えてる。 こう言うときは、話せば話すほど怪しいのかもしれないけど 早く落ち着きたくて、ついつい多弁になった。 「PC固まっちゃったから消しちゃった…」 そう言いながら次のセリフを必死で考えてた。 「楽天見て…みる?」 話すのは、あたしばかりだった。 「いや…いい。ご飯食べに行こうか、アユ」 名前を呼んでくれたことにすらホッとしていた。 * * * だけど… このまま、ふたりで出かける。 差し向かいで、食事する。 なんだか、その時間にあたしは耐えられそうにない気がした。 人ごみの中で、ふたりではぐれてしまうような。 恋人たちには甘い、そんな時間。 だけど、隣にいる男が一番遠いような… ふと気がつけば、あたしの身体は冷え切っていた。 もっと冷え切ってるのは、あたしの中身だけど… 心が、悲鳴をあげている。 (体温を取り戻さなきゃ、ふたりでなんか出掛けられないよ!) 「もう、ひどい…寝ちゃうんだから」 そう言って、あたしは和也に抱きついた。 もう一度抱かれたらそれを取り戻せるのか 勿論そんなこと、判らない。 ふと気がつけば、あたしの身体は冷え切っていた。 もっと冷え切ってるのは、あたしの中身だけど… 心が、足りないものを求めてる。 (この男から温もりを取り戻せるのか…) それは、あたしにとって、ひとつの賭けだった。 * * * 抱きしめ、キスをして、またゆっくりと入って来る… 和也は、セオリー通りの動きをした。 だけど… あたしは、その賭けに負けたことをまざまざと思い知らされるのだ。 自分が望んだことのはずなのに… あたしは、敗戦処理のようなセックスに身を任せていた。 ううん、それが勝てない賭けであることにあたしは気づいていた。 向き合う時間を先延ばしした…それだけなのだ。 キスひとつハグひとつで温まれるほど、今のあたし達は近くない。 不信感の全てを払拭して 全てを満たしてくれるセックスも存在するのかもしれない。 だけど…遠くなったふたりは身体を重ねるほどに、遠くなる。 遠くなった? ううん、あたしがそう思ってるだけのことかもしれない。 そもそも、メーラーを立ち上げた時点で ううん、最新私書箱を開いた時点であたしは賭けに負けていたんだ。 押し寄せる後悔。 (とりかえしのつかないこと、してしまったんだ…) * * * 何をしてもらっても、もう、元には戻れない。 強制終了させてしまったPCの画面のように 真相を知らないまま、押し込めようとした不信感と 自責の念で、押し潰されてしまいそうで… 「みていたんだぞ!お前のしたことは最悪だ!」 責められたなら、どんなに楽だろうか もしかして和也は、あたしのしたことを一部始終みていて 言わないだけ…なんじゃないだろうか? (あたしに現実を知らせようとしたの?!) だけど、責められたなら、あたしは何を言えるんだろうか? 「和也が「アユだけを好きだ」と感じさせてくれていたら あたしは、こんなことしなかったのに!」 とか? じゃぁ、どんな風に扱われたらそう感じられたの? こうなってしまったから、こうしてもいいことなんて何処にもない。 そういうことを思い始めたとき 恋人たちは終わってしまうんだ。 恋人たち? そもそも、あたし達の関係ってなんだろう。 不信感って、なに? そして、信頼とは? メーラーを開いた時点で? 最新私書箱を開いた時点で? あっ… 逢った時点で、あたしはもう… 和也が、シャワーを浴びる音を背中に聞きながら あたしは、何もかも放り出してしまいたい衝動に駆られていた。 続きを読む? ジャンル別一覧
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